尾形月耕と金刀比羅宮
尾形月耕は、明治から大正期の浮世絵師・日本画家です。
安政6年(1859年)に名鏡清次郎の長男(本名・名鏡正之助)として、 江戸京橋弥左衛門町(現在の銀座4丁目)に生まれました。絵は父の強い奨めにより独学で学び、その父の死後提灯屋を営み、人形の顔や吉原遊廓の絵ビラで生計を立てました。明治10年(1877年)に自費出版した錦絵『征韓論』(『建白御評議之図』であるとも云われる)がヒットし、その名は少しずつ知られるようになります。
明治13年(1880年)に当宮の宮司(当時の正式名は祠官)であった 鴻雪爪より、尾形光琳の系譜で琳派の系統尾形光哉の後継として推挙され、 家姓を襲名しました。又、月耕の息子である月山の手記に「芝虎の門琴平神社神官の手に神前にて月耕の号を受け」とあり、明治14年(1881年)頃から尾形月耕を名乗るようになります。
弟子の述懐に「一日、十五日の深川の不動様と、十日の芝の金比羅様には、毎月必ずお詣りした」とあるように、信心深い人物であった事も分かります。
その後も多くの単行本や新聞、雑誌の挿絵や口絵を描き、一躍人気画家となりました。
大正9年(1920年)牛込区(現在の新宿区)新小川町の自宅で死去。
満60歳。
※尚、年代に関しましては諸説ございます。
《代表作》
作品名をクリックしますと、拡大してご覧いただけます。

東京藝術大学所蔵

東京都江戸東京博物館所蔵

東京都江戸東京博物館所蔵

東京都江戸東京博物館所蔵

東京都江戸東京博物館所蔵

東京都江戸東京博物館所蔵

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東京都江戸東京博物館所蔵

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