虎ノ門 金刀比羅宮 〒105-0001 東京都港区虎ノ門一丁目二番七号 TEL:03-3501-9355

写真館 [Picture]

 

~ 金刀比羅宮の移り変わり ~

明治初期

中門通り

中門通りの様子で、正面に見えるのが鳥居です。
通りに面しているお店の看板に、当宮の御神紋である丸金が確認できます。

明治初期

御社殿

先の戦災で焼失する前の御社殿です。
当時は鳥居の紙垂しでが8枚だったようです。(現在は4枚)

紙垂しでとは、一般的にその名の通り紙でできており、注連縄に垂らし、神域を示す象徴とされるものです。

明治44年

境内

参拝者で賑わう境内の様子です。

昭和23年

地鎮祭

東京大空襲により焼失してしまった御社殿を再建するに先立ち、地鎮祭をご奉仕している様子です。

昭和25年6月10日

三笠宮崇仁親王殿下

幣殿・拝殿の上棟式に、三笠宮崇仁親王殿下がご参列されました。(左・最前列)

昭和25年6月10日

餅撒き

上棟式後の餅撒きで賑わう様子。

昭和26年

桜田通り

桜田通りから見た様子。
前の通り(桜田通り)に都電の線路が見えます。

昭和26年11月10日

落成式

落成式において、当時の前大蔵大臣であった泉山三六氏より祝辞を賜りました。

昭和26年11月10日

御神楽や稚児行列

御神楽や稚児行列などが、虎ノ門界隈を盛大に練り歩きました。

昭和44年

昭和44年

昭和44年

昭和44年

現在

現在

現在

現在

 

毎月10日には境内に露店が出店し、賑わいを見せます。(曜日や天候によって出店状況は変わります)

 

 

~ 虎ノ門界隈の移り変わり ~

明治初期

虎ノ門見附

虎ノ門付近にあった江戸城の外堀は、明治初期頃まで存在していたようです。
写真は現在の文化庁付近であり、当時は『虎ノ門見附』という名でした。

大正元年9月

旧虎ノ門外

旧虎ノ門外の様子。

大正12年9月1日

関東大震災

関東大震災により、都内は壊滅的な被害を受けましたが、奇跡的に当宮は大きな被害を免れました。(写真の中央が当宮)

昭和5年

桜田本郷町

虎ノ門交差点から桜田本郷町(現在の西新橋付近)方面を写した写真です。
『写された港区』より

昭和9年

路面電車

虎ノ門にあった路面電車の停留所の様子。尚、当時使われていた線路の敷石は現在、当宮の末社の参道や周辺の石垣に使われております。
『東京モダン師岡宏次写真集』より

昭和37年

虎ノ門交差点付近

虎ノ門交差点付近です。
右の建物は文部省で、中央に見えるのは旧満鉄ビル(現在の商船三井ビル)です。その奥に虎ノ門病院が建っています。
『みなと写真散歩』より

昭和42年

都電

明治40年頃から品川―飯田橋間を走っていた《3系統》の都電(東京市電)です。
左の建物は文部省です。

昭和42年12月9日

虎ノ門交差点

都電が走っていた頃の虎ノ門交差点です。
昭和40年代になると車やバスが増え、都内の渋滞原因の一つとされた都電は、次第に廃止されていきました。
『都電最後の日』より

現代

虎ノ門交差点

 

 

 

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