写真館 [Picture]
~ 金刀比羅宮の移り変わり ~
明治初期
中門通りの様子で、正面に見えるのが鳥居です。
通りに面しているお店の看板に、当宮の御神紋である丸金が確認できます。
明治初期
先の戦災で焼失する前の御社殿です。
当時は鳥居の紙垂が8枚だったようです。(現在は4枚)
※紙垂とは、一般的にその名の通り紙でできており、注連縄に垂らし、神域を示す象徴とされるものです。
明治44年
参拝者で賑わう境内の様子です。
昭和23年
東京大空襲により焼失してしまった御社殿を再建するに先立ち、地鎮祭をご奉仕している様子です。
昭和25年6月10日
幣殿・拝殿の上棟式に、三笠宮崇仁親王殿下がご参列されました。(左・最前列)
昭和25年6月10日
上棟式後の餅撒きで賑わう様子。
昭和26年
桜田通りから見た様子。
前の通り(桜田通り)に都電の線路が見えます。
昭和26年11月10日
落成式において、当時の前大蔵大臣であった泉山三六氏より祝辞を賜りました。
昭和26年11月10日
御神楽や稚児行列などが、虎ノ門界隈を盛大に練り歩きました。
昭和44年
現在
毎月10日には境内に露店が出店し、賑わいを見せます。(曜日や天候によって出店状況は変わります)
~ 虎ノ門界隈の移り変わり ~
明治初期
虎ノ門付近にあった江戸城の外堀は、明治初期頃まで存在していたようです。
写真は現在の文化庁付近であり、当時は『虎ノ門見附』という名でした。
大正元年9月
旧虎ノ門外の様子。
大正12年9月1日
関東大震災により、都内は壊滅的な被害を受けましたが、奇跡的に当宮は大きな被害を免れました。(写真の中央が当宮)
昭和5年
虎ノ門交差点から桜田本郷町(現在の西新橋付近)方面を写した写真です。
『写された港区』より
昭和9年
虎ノ門にあった路面電車の停留所の様子。尚、当時使われていた線路の敷石は現在、当宮の末社の参道や周辺の石垣に使われております。
『東京モダン師岡宏次写真集』より
昭和37年
虎ノ門交差点付近です。
右の建物は文部省で、中央に見えるのは旧満鉄ビル(現在の商船三井ビル)です。その奥に虎ノ門病院が建っています。
『みなと写真散歩』より
昭和42年
明治40年頃から品川―飯田橋間を走っていた《3系統》の都電(東京市電)です。
左の建物は文部省です。
昭和42年12月9日
都電が走っていた頃の虎ノ門交差点です。
昭和40年代になると車やバスが増え、都内の渋滞原因の一つとされた都電は、次第に廃止されていきました。
『都電最後の日』より
現代